2017年03月02日

『ゴッド・スパイダー』読後感想

気圧のせいか、昨日は一日中、ぐるぐるめまい。
ましになった今日も、午後から外せない用事があるので、午前中の里山活動はお休みしました。
ああ、ざんねん。

すこし前に読んだ本のご紹介を。

ゴッド・スパイダー
ゴッド・スパイダー

・あらすじ・
主人公・日々野は研究者。人工クモ糸の量産化研究にすべてを賭ける日々だが、大学時代からの友人・片桐に先を越され、絶望する。いっぽう片桐の会社では、研究データの入ったパソコンが何者かにハッキングされ、国際的サイバー犯罪者集団の関与が疑われる。そのスクープを追う新聞記者・広瀬。広瀬の妻は大のクモ好き理系女子だが、最近、奇妙な行動を取るようになっていた・・・。


感想(ネタバレしています。未読のかたはご注意下さい!)

↓  ↓  ↓


扱うネタが人工クモ糸に生物模倣、登場人物にクモ好き女子・・・とあっては、読まないわけにはいきません。冬の間はクモもキノコも常に脳内供給不足ですから^^

ミステリ重視かと思いきや、理系研究者たちの熱くも爽やかな友情の物語でした。
日本のネット社会のサイバー防衛の遅れについて、警鐘を鳴らす本でもありました。
わたしは理系でもないしパソコン用語に詳しくもありませんが、専門用語は砕いて説明してくれているので、読みやすかったです。
悪の黒幕的な存在は、直接的には描かれません。
対決のカタルシスのないのが読後すこし食い足りない気がしました。
ですが、この『ゴッド・スパイダー』という作品自体が、主の姿の見えないネット、クモの巣をイメージしたものだったなら(作中作の『Spider web diary』のように)イメージ通りです。
時系列が過去と現在を行ったり来たりするのも、クモが営巣で糸を張るとき行ったり来たりする様子になぞらえているのかもしれません。
日本独特の特許制度を逆手に取った片桐のリスクマネジメント能力がキラリと光り、日々野の後輩・黒石や、広瀬の同僚・東海林たち脇役のワイワイガヤガヤが、終始楽しい。

浦沢直樹の絵柄で漫画化したら合いそうだなあ^^


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posted by まさの at 11:55 | TrackBack(0) |

2017年02月10日

4年生に読み聞かせ

先日、小学校に朝の読み聞かせに行って来ました。
担当は、自分の子どものいる4年生のクラス。
1年生のときからやっていますが、持ち時間10分間という制限があるので、毎回、選書に悩みます。

今回は、『こねこのみかんとこおりのたね』。

ただいま目白で個展を開催中の木版画家・服部奈々子さんの作った絵本です。
個別受注や、電子書籍でも販売中)

どらねこザクロがぶつけた氷の種で、森も友だちも凍らされてしまった!
みんなを助けるために勇気と知恵をふりしぼり、人(?)脈を作ってがんばる、こねこのみかんが健気です^^
子どもたちは、ザクロの最後のドジにツッコミを入れながら、しっかり聴いてくれました。
「挿し絵はぜんぶ木版画だよ」
と教えると、えー!とびっくり。
とかく、渋い印象のある木版画。
かわいい絵柄とカラフルな色彩で、いろんな表現ができるということに、気づいてもらえたらうれしいですね。

8分ほどで読み終えたので、おまけにうちの母の詩をひとつ読みました。

詩集 有象無象
詩集 有象無象
から、「フツーでいるために」。

 フツーでいるために/なんだかまだ/言葉になりたがっていないことをしゃべる/じくじくじく

 おーらららら ぶくぶくぶく/フツーでいるために/なんだか必死でうがいをする

(「フツーでいるために」より抜粋)


4年生ともなると、同調圧力という言葉は知らなくても、そういう雰囲気を感じてつらくなる子も出て来るころでしょうか。
フツーとかフツーじゃないとか、大人の世界でもよく云々されます。
自分の心が元気で、ひとを害したりしなければ、フツーから外れちゃったっていいじゃない、と思いますけどね〜^^

緊張しましたが、ときどき本から顔をあげて子どもたちの様子を見ながら読みました。

図体は大きくなって言葉も達者になりましたが、みんな顔がキラキラしていて、あー、まだまだかわいい年代だなー、と思いました。

posted by まさの at 13:54 | TrackBack(0) |

2016年07月01日

シェイクスピア没後400年

シェイクスピア没後400年にあたるとされる今年。
イギリスはEU離脱決定で『から騒ぎ』ならぬ「大騒ぎ」ですね。離脱する側される側、どちらにとっても、喜劇にはならなさそうな雰囲気です。

シェイクスピアは17世紀イングランドで活躍した、現代でもイギリスの誇る劇作家。
ストラスフォードという田舎町からロンドンに出てきた彼は戯曲で大成功を収め、自らの劇団や劇場(グローブ座)を運営。のちに故郷に戻り、1616年に同地で死去したとされています。
されています、というのは、「シェイクスピア」という作家の存在自体、非常に謎めいているためです。
戯曲のそこここに散りばめられた貴族階級の生活や法律に関する専門知識は、庶民が勉強したり妄想したくらいでフォローできるものではないとされ、「シェイクスピア」は貴族か文人の世をしのぶ筆名なのではないか、とする「シェイクスピア別人説」も。

フランシス・ベーコン。クリストファー・マーロウ。同時代の文人から何人も候補の名前が上がる中、貴族として名を連ねるのが、第17代オックスフォード伯爵、エドワード・ド・ヴィアです。

シェイクスピア・ミステリー
『シェイクスピア・ミステリー』
著:ジョーゼフ・ソブラン 訳:小田島恒志/小田島則子(朝日新聞社刊)

「シェイクスピア」の正体を、オックスフォード伯エドワード説を擁護する「オックスフォード派」の立場から検証する本。
従来の作者とされてきた、1616年に死去した男を「ストラトフォードのシェークスピア氏」、真の作者を「シェイクスピア」と呼んで区別しています。

・エドワードの遺した書簡の言葉はシェイクスピア戯曲を構成する言葉の多くと一致する
・エドワードはイタリア文化に傾倒。戯曲には作者がイタリアの地理や訛りに精通していなければ書けない台詞がある
・名前を公にできなかった理由は、当時演劇は庶民の娯楽であり、まともな貴族が没頭すべき対象ではなかったから。また、ソネットの中に当時タブーであった同性愛的表現があったことも大きい

などの点がオックスフォード伯を推す根拠として挙げられていました。
シェイクスピアに一家言ない身としては、「そうだったのか」と頭から信じてしまいそう。
訳者はシェイクスピア翻訳で有名な小田島雄志の息子さん夫婦。
訳者のスタンスは、あとがきの
「・・・本書のおかげで、シェイクスピアの正体は第17代オックスフォード伯だとする確たる証拠もないのと同じくらい、ストラトフォードのシェークスピア氏だとする確たる証拠もないということを知って驚いている」
という一文に表れています。

文中わたしが最も納得させられたのは、伯爵の文書と戯曲の言葉ぐせが同じだ、というところ。
でも、どうも、クリストファー・マーロウについても同じ見解がある模様。
Wikipedia以外の典拠は探せなかったのですが、マーロウ派の人の説を読めばわかるのかもしれませんね。

言語データに基づいて文書の作者を同定する「計量文献学」という学問分野があると知り、おもしろそうだなあと思いました。

シェークスピアは誰ですか?―計量文献学の世界 (文春新書)
『シェークスピアは誰ですか?―計量文献学の世界』
著:村上征勝(文春新書)
こちらも読んでみたくなりました^^

「オックスフォード派」の映画ならこちら(一部ネタバレしています)。

もうひとりのシェイクスピア (字幕版)
『もうひとりのシェイクスピア』(原題:Anonymous)
監督:ローランド・エメリッヒ
主演:リス・エヴァンス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ 、セバスチャン・アルメスト

イングランドがエリザベス一世のエリザベス朝からジョージ一世のスチュアート朝に移行する政治事情が背景にあります。
同じオックスフォード派のシェイクスピア・ミステリー』で時代や人物相関関係のおおよそを掴んでから観たら、とてもわかりやすかったです。

基本の設定の触りの部分をちょっと書きますと、

才気煥発、容貌端麗、幼いころから戯曲を書き、自ら演じもしたオックスフォード伯エドワード。
演劇好きなエリザベス女王とは意気投合していますが、女王の相談役として宮廷で権勢を振るうセシル卿は清教徒。演劇などもってのほか、と全否定。
義父でもあるセシルに盾突けないエドワードは、劇作家ベン・ジョンソンに目を付けます。
ベンを買収し、彼の名前で自作を発表しようと目論むエドワード。
作家としてのプライドのあるベンですが、何しろ相手は伯爵さま。口止め料ももらえる。悶々としつつ、自分の署名はしないまま、戯曲を舞台に乗せます。はたして、観客は大喝采。
「劇作家を!」満場からのコールに応えて現れたのは、ストラトフォード出身の無学な舞台役者・ウィリアムでした。ベンから匿名希望の貴族作家の話を聞き出していたウィリアムは、ベンのためらいにつけこみ、まんまと自ら人気劇作家の座に収まってしまったのです。
こうして架空の劇作家「ウィリアム・シェイクスピア」が誕生したのですが・・・。

終盤になってボディブローのように効いてくる、女王とエドワードとの恋がやるせないのですが、さらに切ないのがベン・ジョンソンの立ち位置。
伯爵の無茶ぶりにオロオロ。その才能にモヤモヤ。ウィリアムの図々しさにプリプリ、イライラ、ムカムカ。
ずっと万年生理痛のような表情でいる彼が、劇場の焼け跡で一回だけ見せた笑顔は、エドワードが追及した「人間性」の至高の部分が結晶したよう。
エドワードへの嫉妬に苦しみ続けた者同士として、意外な相手がベンに理解を示してくれるのも、心憎い演出でした。

原題の「Anonymous」は「匿名」という意味。
エドワードが匿名の存在であることを貫いた理由は、貴族としての立場や体面、また女王との約束もあるでしょうが、

「自分は多くの人、そして自分が認めてほしかった人に受け入れられる作品を作ることができた。作者が誰であるかはもう、どうでもいい」

という、創作者としての悟りの境地に到達していたからではないか、とも思えます。

大正時代、民芸運動で知られる思想家の柳宗悦は、名もない職人の手仕事でつくられた日用品の中に美を見出し、それを「用の美」と呼びました。
「Anonymous」という原題に、ふと、それに通じるものを感じました。

ちなみにこの映画、トムさんが城の射撃兵として一瞬だけ出演。
わずか数秒の尺の中で、場面に合ったニヒルな笑みを披露してくれますよ。

戯曲や演劇の側からは、ちょっととっつきにくい、と思っている方にもおすすめの、シェイクスピア〈周辺〉作品のご紹介でした。



posted by まさの at 15:25 | TrackBack(0) |